宗教と人権問題

宗教と人権問題

宗教がらみの人権問題はトップページでも触れましたが、この問題は複雑な要素が絡み合い、より深刻なものとなっている大きな問題です。
信教絡みの人権問題といえば、最近ではサウジアラビアで女性が車を運転し、逮捕されるという事件がマスメディアを通じて大きく報道されました。
サウジアラビアはイスラム教ワッハーブ派が絶大な権力を持ち、宗教規範が社会的に浸透しているイスラム国家です。
サウジアラビアでは宗教的思想のもと、女性が素肌を露出して外を歩くことすらタブーであり、外出する際は「アバヤ」と呼ばれる着衣を着て顔を隠して外を歩きます。
もちろん選挙権もなく、女性が車を運転する事は犯罪行為となってしまうのです。
そうした社会に抗議すべく、一人の女性が顔を曝け出し、車の窓を全開にして疾走する映像が世界各国で放送されました。
その後、この女性は逮捕されましたが、この女性の勇気ある行動に共感した多くの女性が車を運転し、女性の人権を訴える映像が流れたのは記憶に新しいところです。
こうした国々では、女性が勉強する事すら許されないという信じがたい風習もあります。
2012年10月9日、パキスタン・イスラマバードでの事件
女性の教育を受ける権利を主張する、まだ幼い14才の女性、マララ ユスフザイさん。
グログの中で彼女は、女性が教育を受ける権利について記事を執筆していました。
事件が起こった日、女性は学校のワゴン車に乗っているところを、イスラム武装勢力に襲われ、首などに銃撃を受け、重症を負うという事件が発生しました。
イスラム圏では、このような女性の人権侵害が正当化され、殺人を犯しても罪に問われないという信じがたい国々が未だに多く存在するのです。

歴史上の信教関係の人権問題

●ユダヤ人の迫害
「ユダヤ人の迫害」ですぐに連想されるのが、ナチスドイツ、アウシュビッツ強制収容所、ホロコースト、ヒトラー、どれもナチスドイツによる迫害ばかりですが、実は歴史上の文献によれば、今から3千年以上も前の、紀元前13世紀からユダヤ人迫害の事実が記されています。
旧約聖書・「出エジプト紀」(シュツ エジプトキ)では、新エジプト王国から多くのユダヤ人が差別や迫害を受け、古代イスラエル指導者である「モーセ」により、多くのユダヤ人が救われたという記録が残っています。

なぜ、ナチスドイツはユダヤ人を迫害したのか?
第一次世界大戦当時、ユダヤ人は世界中で幾度となく差別と迫害が繰り返されていました。
そんな中、ドイツでは比較的迫害の度合いが低かった為、多くのユダヤ人がドイツに逃れました。
しかし、第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、ドイツ国内で「ユダヤ人が国内に大勢いるせいで負けた」という風評が蔓延し、当時ドイツで行われた選挙では、ヒトラーが「ユダヤ人のいないドイツにする」と選挙公約として掲げました。
当然、ユダヤ人たちは反発し、各地で暴動を起こします。
各地でのデモや暴動は、軍の武力行為によって鎮圧されていきます。
これがナチスドイツによる600万人ものユダヤ人大量虐殺となるホロコーストのきっかけとなったのです。

●日本国内の宗教弾圧
織田信長による一向一揆大虐殺や、比叡山の焼き討ちは有名ですが、これらの事件が宗教弾圧だったのか否かは諸説様々です。
長島一向一揆は1570年~1574年にかけて、本願寺門徒らが主体となって、当時尾張を支配していた織田信長と対立して起きた事件です。
一向衆は浄土真宗を信仰する者から構成されており、織田信長は一向衆を大量虐殺しました。
一方、比叡山延暦寺は、天台宗の総本山です。
こちらも織田信長との対立で、信長によって焼き払われてしまいます。
いずれも宗教団体を壊滅させた事から、双方とも宗教弾圧だと考える人も多いかと思います。
しかし、織田信長は宗教そのものを禁止したわけではなく、たまたま尾張統一、天下統一の妨げとなったのが宗教団体だっただけであって、宗教弾圧ではないと考える学者も少なくありません。

本当の宗教弾圧
織田信長は宣教師に対して非常に好意的でしたが、後に天下統一を果たした豊臣秀吉とはうまくいきませんでした。
1597年、日本で最初に信教を理由に処刑された事件、26聖人殉教が豊臣秀吉の命によって執行されます。
それ以前にも秀吉は、一向一揆のような大規模な内乱を恐れ、バテレン追放令(バテレンとは、ポルトガル語で神父の意味)を発令していましたが、1596年のサン=フェリペ号事件を期に、キリスト教信者に対する処遇はますます厳しいものとなっていき、キリスト教信者は隠れて命がけで布教活動をしていくようになります。

徳川幕府によるキリスト教禁止令
関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、秀吉のとったキリスト教禁止を踏襲します。
日本で正式に特定の信教を禁止する法律「キリスト教禁止令」が徳川幕府によって発令されます。
キリスト教禁止令は初代徳川家康から、15代慶喜まで受け継がれ、キリシタンである事が発覚すると、国外追放、重い場合は処刑の対象となっていました。

宗教弾圧とカルト教団との狭間

信教を弾圧する人権侵害がこれまでの歴史の中で幾度となく繰り返されてきました。
このような悲劇が二度と起きないよう、憲法では信教の自由を明文化しています。
そうした中で、一部のカルト教団の詐欺的商法や、組織ぐるみでの犯罪行為が社会問題となっていきます。
オウム真理教の地下鉄サリン事件は記憶に新しいところでしょう。
統一教会の問題も一時話題となりました。
このような宗教法人が関与する事件では、初動捜査の際にてこずります。
「宗教弾圧」を盾にするからです。
オウム真理教はあれだけの事件をおこしながら、今現在でも教団名を変え、活動しています。
信教の自由は一部のカルト教団の犯罪行為を助長する為のものであってはなりません。
全うな宗教法人とカルト教団、どこでどう線引きをどうするかが難しいところです。